「欠点の無い“完璧な人”を書きたくない」
善し悪しで割り切れない漫画を愛する
『虎に翼』脚本家・吉田恵里香の譲れない創作道
「少年ジャンプ+」10周年を記念した特別インタビュー企画「ジャンプラ読切沼のわたしたち」。この企画では、ジャンプラ読切の魅力にどっぷりはまって抜け出せない、7名の漫画好きの著名人にオススメのジャンプラ読切をセレクトしてもらい、その魅力を存分に語っていただきます。
第5回となる今回は、脚本家・小説家の吉田恵里香さんが登場します。吉田さんは、この秋放送が終了した、NHK連続テレビ小説『虎に翼』の脚本を担当しました。本作は日本ではじめて裁判官になった寅子を主人公に据え、人権や平等をめぐる問題を、現代と地続きの物語として描き、注目をされました。
脚本家として第一線で活躍する吉田さんですが、実は子どもの頃の夢は漫画家だったそう。作家になってからも、漫画を原作とする映像作品の脚本を数多く書かれています。
インタビューでは、そんな吉田さんの感じる漫画の魅力や、漫画を脚本化する際の心得、そして業界への期待を伺いました。そして後半ではジャンプラ読切のオススメ作品を、脚本業の話題も交えながら紹介していただきます!
善悪で割り切れない漫画が好きです。
吉田さんと漫画の出会いは?
もともと漫画家になりたかったくらい、漫画はずっと好きなんです。中学生になるか、ならないかのころに漫画の描き方を学んでたこともあって。でも、パースのとり方とか背景の微細な描写を書くことが自分には向いていなくて、諦めましたね(笑)。絵を描くことは好きなので、この間も息子に頼まれて、ウルトラの母を20枚くらいひたすら描きました(笑)。上手でも下手でもない、中途半端な画力なのでお恥ずかしいですが。本当にたまにですが、脚本にもイメージイラストを描くことがあります。
吉田さんの絵、ぜひいつか見てみたいです!子どものころは、どんな漫画を読んでいましたか?
漫画の原体験は、父が通っていた床屋さんですね。床屋さんって、なぜか漫画が置いてあったじゃないですか。そこで『ドラえもん』(藤子・F・不二雄、小学館)や『DRAGON BALL』(鳥山明、集英社)、『Dr.スランプ』(鳥山明、集英社)を知りました。あと、図書館にも漫画コーナーがあったので『ぼくの地球を守って』(日渡早紀、白泉社)とか『サイボーグ009』(石ノ森章太郎、秋田書店)、手塚(治虫)作品といったSFの名作を借りて読んでましたね。
床屋や図書館で当たり前に漫画に触れてきたんですね。
最初に購読するようになった漫画雑誌は『りぼん』(集英社)でした。『こどものおもちゃ』(小花美穂、集英社)、『ご近所物語』(矢沢あい、集英社)の時代ですね。あと、小4のときに連載が始まった『ONE PIECE』(尾田栄一郎、集英社)は『週刊少年ジャンプ』で読んで、衝撃を受けました。
どんな点に衝撃を受けたんですか。
ヘラヘラ笑いながらめちゃくちゃやる主人公のルフィが新鮮で。しかも、体がゴムだから攻撃がまったく効かなくて無敵じゃん!って(笑)。そういう驚きもあって『ONE PIECE』は繰り返し読んでて。アーロン編のナミとベルメールさんのお話は、脳内再生できるほど好きです。キャラクターはゾロが好きで、イラストもよく描いてましたね。
その当時読んでいた漫画で、今なお自分の価値観に影響を与えている作品はありますか?
図書館で見つけた『ぼくの地球を守って』は、今の自分の思想を形成している部分があるかもしれません。壮大なSFファンタジーなんですけど、どの登場人物も、良い面と悪い面の両義性が描かれている。中心人物もけっこう過ちを犯すし、イヤな言動も多いんですよ(笑)。でも、人間ってそういうものかも、と思わせる説得力がありました。小学生のときにこういう作品に触れられたのは大きかったですね。
まさに吉田さんが脚本を書いた朝ドラ『虎に翼』にも共通してますね。寅子は朝ドラ主人公なのに、お調子者で、たまに鼻につくところもある(笑)。ときには間違ってしまう、人間臭いキャラクターでした。
欠点のない完璧な人を書くのがイヤなんです。だって人間ってみんな、良いところもあれば悪いところもある。そういうものじゃないですか。自分が好きになる物語も、かんたんに善悪や良い悪いで割り切れない人が描かれた作品が多かったので、自分でもそういう作品を書きたいんですよね。
吉田さんは日本大学芸術学部に進学されて、そこで小説や脚本の書き方を学ばれたそうですね。
はい。中学受験のときはまだ漫画家になりたかったので、芸術学部がある日大の付属校を選んだんです。でも結局、漫画家は諦めて、大学では文芸学科に進みました。いま思うと、大学時代がいちばん、漫画を熟読していた時期ですね。
漫画原作の脚本を手がけるようになってからは、既に映像化されている作品の見方が変わりました。原作と映像作品では、どこがどう変化しているのか、探るように読んでましたね。紙媒体と映像では表現方法も異なるので、脚本家の方がどのように漫画のテーマや面白さを噛み砕いて、映像に翻訳しているのかを研究していました。
「原作を自分の骨にする」くらいの覚悟
漫画を映像化されるときに、脚本家として心がけている方針はなんでしょうか。
いちばん大切なことは、原作のメッセージが損なわれてしまわないことだと思います。脚本を担当した『ぼっち・ざ・ろっく!』(はまじあき、芳文社、アニプレックス)だったら、アニメ第8話のラストで描かれる、ぼっちちゃん(後藤ひとり)と(伊地知)虹夏のシーンがわかりやすいかもしれません。
「結束バンド」のメンバーであるぼっちちゃんと虹夏が、ライブ終わりの打ち上げ中にふたりきりで話すシーンですね。ここでぼっちちゃんは、メンバーに隠していた「ギターヒーロー」という人気動画投稿者である事実を、虹夏に見破られます。
このシーン、原作では1巻のラストにあたります。漫画もアニメも、最後は虹夏が「これからもたくさん見せてね、ぼっちちゃんのロック……ぼっちざろっくを!」とタイトルを回収する重要なシーンです。
このセリフの前でぼっちちゃんは、バンドをやっている理由を尋ねられて、熱い思いを語ります。そのあと、「全員で人気バンドになって、売れて学校中退したい……」と本音を喋る。この言葉に対して、原作の虹夏ちゃんは「そんな重いのはバンドに託さないで……」とツッコむんです。しかし私の脚本では「なんか重いなぁ(笑)。でも託された!」に変更しました。
それはなぜですか?
原作の「そんな重いのはバンドに託さないで……」という言葉は、4コマのオチとなるセリフで、その後の流れは字面とは裏腹に、虹夏ちゃんが、ぼっちちゃんを受け入れたことを印象づけるシーンなんです。でも、このセリフを実際にアニメで音にしてキャラクターに喋らせると、かなりインパクトが強くなってしまう。虹夏が「それは勘弁して」と突き放しているように聞こえてしまうんです。だから「託された!」という言葉をあえて添えて、原作のニュアンスが出せるように調整しました。
細かいセリフの調整で、原作のメッセージや雰囲気を再現するんですね。
漫画ならではの表現を、映像表現に「翻訳」する感じなんですよね。漫画の場合は、連載やコマ割りといったフォーマットゆえの表現があるので、それを映像に置き換える際には構成も再考します。たとえば原作では「A→B→C」だったものを、映像だと「C→A→B」に変える、というように。
あと『ぼっち・ざ・ろっく!』でいうと原作者のはまじあき先生がシナリオ打ちに毎回同席してくださったので、相談しやすかったのも大きいです。もちろん、原作者の方に「このように変更しました・したいです」とお話した際に「そこは絶対に変えないでください」と言われることもある。その場合は演出など他の担当の方に相談してニュアンスを調整します。映像制作だと、そういう役割分担もありますね。
原作者との対話が重要なんですね。
原作者さんの負担にならないように編集担当さんが間に入る場合が多いですが、話せるならば直接話しておいた方が、結果的に関係者がみんな納得できると思います。途中で介在する人が多いと、どうしても伝言ゲームになってしまう。伝えたい意図が省かれたり、変わってしまったり、誰かに責任を押し付けられることもある……それですれ違うのは悲しいことです。だって自分が描いた作品を、なんの相談もなく変えられるのはイヤじゃないですか。だから変更するならちゃんと意図も伝える。ちゃんと説明することで納得してもらえること、別のアイディアをいただけることは多々ありますから。 脚本家としても、原作の持つ世界観や味わいは、できる限りを最大限、映像作品に反映したいので当然のプロセスだと思います。
しかし漫画家さんにも本業の執筆があって忙しいなか、なかなか直接対面で話すというのは難しいですよね。
そうですね。直接顔を合わせて話すのがベストではありますが、それが難しければメールで、それも叶わない場合は介在する人を極力少なくして話しあう。なるべく包み隠さず正直に疑問をぶつけあえれば、大抵のことは解決に向かうと思ってはいます。でも、直接話すのって、キャリアの浅い脚本家にとっては怖いことかもしれない。私も仕事がなくなるのではないかと若い頃は顔色を伺う相手を間違えてしまうこともありました。でも、むしろ対話しないと、取り返しがつかないことになる。
理想の対話は、脚本家と原作者が一対一で話すことですか?
いえ、この対話とは「脚本家と原作者だけが」という意味ではないです。個人が矢面にたつ必要はもちろんありません。その調整をするのはテレビ局や制作会社の方の仕事でもあります。あと、これは酷なことかもしれませんが、対話で解決策が生まれなかったり違和感があったら、一緒に仕事をするべきじゃないのかもしれない。悲しいけれど、それはしょうがないことなんですよね。だって、その漫画を、原作者さんの意図通りに100%読み取るのは、他者である限り不可能ですから。脚本家の読みの不完全さを補うためにも、映像作品に携わるチーム全員で作品をよみこむべきです。とにかく対話は不可欠だと私は思います。
原作をアダプテーション(改作)するのは、大きな責任が伴う大変なことですよね。
私は「原作をお預かりする」という言い方は、他人ごとみたいで良くないなと思っていて。 なんだか他人行儀で、腫れ物に触るみたいなニュアンスがあるじゃないですか。そうではなく、原作を自分の骨にするくらいの覚悟が必要なんです。漫画家さんが命がけで描いた作品を使うんだから、それくらい腹をくくるのは当然。愛がなく変更するのは絶対駄目です。かといって、愛もなく「怒られるから」という理由で、原作のままやればいいも駄目。それだと実写化しても相乗効果は生まれないですから。製作者みんなで作品を愛して、どうしたらこの面白さを伝えられるのかを、自分ごととして考えていきたいですよね。
育児の合間に漫画を読む
最近の漫画との付き合いはいかがですか?
出産してから、しばらく映像を見る余裕がなかったので、ネットで漫画をたくさん読むようになりました。赤ちゃんを抱っこしながらでもスマホ片手に読めるから、電子書籍はとても便利なんです。出産前は圧倒的に紙派でしたが、ここ数年は電子のありがたさが身に沁みてます。気に入った作品は紙でも買いますが、それはもうコレクションの域かな。
毎日のどんな時間帯に読むことが多いですか?
移動時間と寝かしつけのときですね。子どもって眠りが浅いうちに親が離れると、気づいて目が覚めちゃうんですよ。だから、子どもが熟睡するまでスマホで漫画を読むことはめちゃめちゃあります。あとまだ幼いので、意味もなくグズることがあって、抱っこしながら一時間くらい背中をトントンし続けなきゃいけない時もある。「ママ、漫画読んでてもいい?」って聞いて許可が出てから、子どもが落ち着くまでのあいだトントンしながらスマホで読んでます。
「少年ジャンプ+」も日常的に読みますか?
読んでますね。連載だと『推しの子』(赤坂アカ×横槍メンゴ)と『チェンソーマン 第二部』(藤本タツキ)、あとSNSでフォローしてる漫画家さんや編集者さんがオススメするものは必ず読んでます。SNSで話題になってる漫画を読む感じって、本屋さんでふと目に入った作品を手に取る感覚に似てて、好きなんですよね。
読切はいかがですか?
ジャンプ+の読切はよく話題になるので、けっこう読んでます。藤本タツキさんの『ルックバック』のように、その一本でコミックスになったり、映画化されたりするような作品が、これからもっと出てくるんじゃないかなと期待しています。
今回、ジャンプラ読切からオススメを3作選んでいただきました。多彩な漫画が並びましたが、セレクトの基準はなんだったのでしょうか。
斬新な展開や描写があって、作家として興奮した読切を選びました。描きたいものを、思い切り描いている熱量に惹かれたものもあります。また、私自身も目指してる善意とか、他者に寄り添うといった部分を取りこぼさない作品も挙げました。
映像的な演出が没入感を誘う
まず紹介してもらうのは『疎遠になった友達~元トモ~』(荻野純)ですね。これはTBSラジオ『アフター6ジャンクション』の投稿コーナーを漫画化した読切です。
映像的な描写が多く、セリフではなく画で見せるのが面白かったです。冒頭の高校入学からしばらくのあいだ、主人公が学校に馴染めず孤独だった様子を描く「点描描写」も見事でした。
点描描写とはなんでしょうか?
短いショットをつなぎ、端的に状況を伝えるテクニックですね。脚本のト書き(セリフ以外の説明や描写、指示のこと)でもよく使われます。漫画で使うと、セリフがなく画だけで見せるから、スピードが出て、いきなり没入させる効果があるんですよね。作者の荻野純さんは、映画やドラマなどの映像作品がかなりお好きなのかなって思いました。
ストーリーとしてはタイトルどおり、昔の友達との関係性を描いたものでしたが、そのあたりはいかがでしたか?
友達とのすれ違い方がものすごくリアルで身につまされました。主人公と共同生活をしていたマー君が、自身の過ちから身を持ち崩し、ふたりは疎遠になってしまう。マー君は自分のせいで関係が終わってしまったことを、ずっと謝りたかったと思うんです。でもそれは許してほしいとか、関係を修復したいということではなく「悪いと思ってるよ」と気持ちを伝えたかっただけなんじゃないかなと。
その謝罪を受け入れながらも、かつてのように屈託のない関係には戻れないことを感じている主人公の表情も切ないです。
そうですね。これは、主人公たちと同年代の若い人に読んでほしいです。高校生のうちに読んで、また大学生のときに読んで、社会人になって読んで……と時間をおいて繰り返し読むことで、味わいが増すんじゃないかな。大人が読んだら、身に覚えがあって、身悶えすると思います(笑)。良い意味でスキマの多い作品なので、どんな人でも自分を重ねる余地のある漫画でしょうね。
新人作家がパッションで押し切る作品に共感する
次に紹介いただくのは有波さんの『デス鮭ハンター』です。
とにかくやりたいことをやりきっててすごく素敵でした!
突然変異の巨体鮭“デス鮭”が川を遡上しダムを破壊する。その危機を阻止するべく、デス鮭を討伐するハンターが主役です。
作品に完璧さや完成度を求める人には、もしかすると刺さりにくい漫画かもしれません。それでも、作家さんが自分の好きなことを思いきりぶつけて描いている、その思い切りの良さが魅力なんですよ。私自身、この主人公の子の露出の多さはちょっと気になったりするんだけど……でも快活だし、良い意味でエロさが感じられないから、そこも好きです。
ひっかかる点があるのに、それでも推したくなる。
「これがやりたいんだ!」というパッションに胸を打たれるんです。この作品のように、勢いと創作へのパッションで魅力をみせられるのも、読切というフォーマットの利点かもしれません。いろんな作品のオマージュが、理屈抜きでてんこ盛りになっているじゃないですか。商品としてはギリギリのバランスかもしれないけど、作者が好きなもの、描きたいことはわかるから、作者の自己紹介として成功している。この人の他の漫画が読みたくなるし、もっと癖を爆発させていって欲しいなって思う……その意味で、今後に繋がる作品でもありますね。
吉田さんご自身のキャリアの中に、「これがやりたいんだ!」というパッションだけで突き進んだ仕事はありますか?
私のキャリアは大学在学中に共同脚本で入った『TIGER & BUNNY』(BNP/T&B PARTNERS)で始まるんですが、それは自分の色というか、爪あとを残したいなという気持ちで書きました。もちろんシリーズ構成の西田征史さんとの共同執筆なので、パッションだけではないですけど。
私がはじめて担当した15話は、サイドストーリーといいますか、本筋に最低限触れつつ、ある程度は自由にできる遊び回だったんです。
アニメシリーズの中にも、漫画でいう読切のように、新人作家がチャレンジする機会があるんですね。
私がデビューした2011年ごろは、今ほどガチガチに構成を求められる感じがなかったので、そういうチャンスがありました。でもそれは『TIGER & BUNNY』が2クールを与えられていたからで。今は1クールのアニメが多いので、遊び回を入れる余裕がないんです。なので、新人が育ちにくくなっている。
きびしいですね……。
2クール、半年続くアニメを視聴者が求めてないので、そこは仕方ないんですよね。今のアニメは綿密な構成や伏線回収が楽しまれる傾向にあるので。でも、漫画の世界には読切という文化が根づいていて、新人作家が活躍できる場だから、それはとてもいいことですよね。漫画業界ならではの優位性を感じさせる作品でした。
読切だからバッドエンドが効く
最後は『何処として何一つ非の打ちどころのない僕の日常』(オヒルネ)です。柔らかくも歪なタッチの画と、戦争とクローンという重いテーマのギャップが妙に居心地悪く、印象に残ります。
何よりも、自分のクローン人間を、戦場に送ってしまえることの残酷さが際立ってますよね。主人公は戦争に加担してるのに、どこか他人ごとで、そら恐ろしい。でも最後には、自分の無責任さを自覚して終わるので救いはあるのかなと。それにしても、反戦という大きなテーマを取り上げて、最後まで逃げずに描ききっていて素晴らしいです。とても挑戦的な漫画だと思いました。
吉田さんは、フェイバリットな小説としてカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』(早川書房)を挙げていますよね。この小説もまたクローンがテーマになっていました。
遺伝子も見た目も自分とまったく同じ存在(クローン)に対して、非情になれてしまう人間に関心があるのかもしれません。『何処として何一つ非の打ちどころのない僕の日常』は、自分のクローンが戦場で傷ついても心を痛めないなら、そりゃあ遠くの国で苦しむ他人の痛みには鈍感になるよな……という人間の麻痺していく感覚が、丁寧に描かれている。バッドエンドで終わることで、読後に尾を引く構成も見事です。この終わり方は、読切ならではでしょうね。
バッドエンドは読切ならでは?
連載だと、登場人物と長い時間を過ごしたことで、読者はもちろん作者もキャラクターを愛してしまう。だから、バッドエンドはやりにくいんです。でも短編ならキャラクターに感情移入する前に、メッセージをダイレクトに提示できる。長期連載をバッドエンドで終わらせられる作家さんもいて、その胆力には敬服します。でも私は、登場人物を愛してくれた人の気持ちを考えてしまうとそうはできない。なので、短編ならできるんだっていうのは気づきでした。
『何処として何一つ非の打ちどころのない僕の日常』は、ウクライナやパレスチナでの戦争が終わらない今こそ、広く読まれてほしいですね
今に限らず、ずっと必要なんだと思います。悲しいことに戦争のない時代ってないですから。この主人公は「戦争って経済活動だからね」と、わかったようなことを言うじゃないですか。「人類がある限り、戦争はなくならないんだよ」とか。そういう人に対しては私は「いや、そういう話、してないんだわ」と言いたい。「あなたは誰目線で話してるんですか」と。今この時代に、同じ地球で生きている人間が虐殺されている。その現実に対してまっすぐにNOと言えないあなたは一体なんなんですか、と問いたくなるんです。
『虎に翼』も、そういう変わらない現実に対して、まっすぐに異議を唱えるドラマでした。
人間って成長してないんですよね。もちろん昔に比べたらマシだけど、マシなだけで解決してないことがありすぎる。『虎に翼』では、昭和初期から第二次大戦、戦後の激動を書いていますが、全てが現代と地続きの話です。
「マシ」なだけの現状から抜け出すためには、自分ごととして考えなきゃいけない。そのきっかけになることもエンターテインメントの役割のひとつだと思ってます。私も世の中をちょっとでも良くできるように、他者に寄り添う作品を書き続けたい。だからこの『何処として何一つ非の打ちどころのない僕の日常』の試みには共感しますね。
読切を描くだけで生活ができれば
吉田さんのお話を聞いていて、SF作品への愛着を感じました。子どもの頃に読んだ『ぼくの地球を守って』や『サイボーグ009』、そして最後に紹介された『何処として何一つ非の打ちどころのない僕の日常』。吉田さん自身、SF作品を手がけたい気持ちはありますか?
もちろんSF作品も書いてみたいです。SFの設定と作り込み、壮大なテーマが好きなんですよね。できることならアニメや漫画でやってみたいかな。準備に時間もかかるし、たくさんの人の協力が必要なので、すぐには難しいですけど。
以前、私がインタビューした『大奥』(白泉社)のよしながふみさんも、最近はSF漫画が減っていると嘆かれていました。
コストパフォーマンスという言葉は大嫌いですが、その観点で考えると割に合わないんでしょうね。SFは、とにかく時間がかかるうえに、当たるかどうかも不確定要素が多い。はっきり言ってしまえば、今のエンタメ業界にはSFを作る体力がないんだと思います。日本のエンタメ業界が厳しい現状だからこそ、ジャンプ+みたいな場は、今後ますます重要になるのかもしれない。
どうして「少年ジャンプ+」に期待を寄せるのでしょうか?
これだけ良質な作品をたくさん生み出すプラットフォームはなかなかないんですよ。どこもかしこも不景気で、漫画業界・出版業界のおかれる環境は非常に厳しい。インボイスも始まってしまって、このままだと廃業を余儀なくされる作家さんがますます増えると思うんです。そんななかで連載であれ、読切であれ、多くの新人作家にチャンスを与える場は重要です。実力や才能がものをいう世界ですが、生活ができなければ才能も発揮できない。実家が太い漫画家ばかりになったらイヤじゃないですか(笑)。
作家の属性が偏れば、作品の傾向も偏るかもしれませんしね。
そうそう。だから「少年ジャンプ+」は、いろんな作家さんを守る防波堤になってほしいです。読切を描き続けるだけでも、十分に生活ができれば、それこそ読切からメディアミックスが広がっていく作品が、この先もたくさん出てくるんじゃないかなって。連載で輝く作家さんもいれば、読切や短編で魅力を発揮できる方もいるはずなので、それぞれの作風にあった活動スタイルが保証されているならいいですよね。「少年ジャンプ+」はとっくにそこも考えて、体制づくりをしていると思いますが。
漫画ファンとしても、多くの作家が活動できたほうが、多種多様な作品を読めて、楽しいですもんね。
ほんとそうですね。あと、漫画家になれば、楽しくて豊かな暮らしができるという夢を子どもたちに見せることも大事ですよね。子どもがなりたがる職業じゃないと衰退してしまうから。幼い頃の私が憧れていたような、夢のある場所を守ってくれることを期待しています。
取材・文:安里和哲 撮影:岡田健
編集:野路学(株式会社ツドイ)
歴代のジャンプラ読切から、
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